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甲賀幻妖斎

  • Author:甲賀幻妖斎
  • 工学部出身ですが、社会に出ると技術系の知識よりも
    社会科学の知識が必要とされることを痛感。
    組織と人間、それを取り巻く社会の関係について考えています。
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望山馳死馬。
社会、組織、人間のかかわりについて考えています。 主に、読んだ本や映画のメモです。
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P・F・ドラッカー;経済人の終わり、第6章(11)
経済人の終わり

”P・F・ドラッカー (著), Peter F. Drucker (原著), 上田 惇生 (翻訳);経済人の終わり―全体主義はなぜ生まれたか”

p167より
厳密にいうならば、経済的に有利な資本財への投資は一種類しかない。他のさらに価値ある製品を生産するための資本財の生産である。とするならば、個々の労働者の健康と体力、および人口水準の維持に必要な消費を別として、あらゆる消費が経済的には浪費であるということになる。したがって、軍需生産のような経済的に非生産的な投資を、同じように非生産的な諸々の消費を削って賄ったとしても、経済的な状況は何ら変わらないはずである。

p168より
生産性とは、投資による消費能力の増大を意味する。しかるに、消費の増大と生活水準の向上を目的とすることを認めないドイツやイタリア、およびそれを事実上認めていないソ連においては、そもそも生産性なるものが意味をなさない。

p170より
大衆が消費の削減を受け入れ、消費材の代わりに生産されるものを望ましいものとして受け入れるかぎり、全体主義は機能する。「バターよりも大砲を」という言葉は、経済的な代替についていっているのではない。精神的、社会的な選択についていっている。
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