カレンダー

06 | 2017/07 | 08
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31 - - - - -

ごゆるりとどうぞ。

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブログ内検索

リンク

このブログをリンクに追加する

RSSフィード

プロフィール

甲賀幻妖斎

  • Author:甲賀幻妖斎
  • 工学部出身ですが、社会に出ると技術系の知識よりも
    社会科学の知識が必要とされることを痛感。
    組織と人間、それを取り巻く社会の関係について考えています。
    ”Top Page” に戻る。

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

望山馳死馬。
社会、組織、人間のかかわりについて考えています。 主に、読んだ本や映画のメモです。
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

P・F・ドラッカー;経済人の終わり、第6章(6)
経済人の終わり

”P・F・ドラッカー (著), Peter F. Drucker (原著), 上田 惇生 (翻訳);経済人の終わり―全体主義はなぜ生まれたか”

p152より
軍国主義の非経済的側面は、産業の外の階級、すなわち、農民と自由業のおかれた地位をみれば、さらに明確となる。ファシズムをとる両国における経済活動に対して、最初にして最大の長期にわたる政府干渉は、農業の組織化においてみられた。

p154より
農民は、戦争において戦闘する「第三帝国の兵士」であり、第1線の歩兵である、この第1線の歩兵としての軍事的な疑似機能が、「民族の背骨」としての農民に与えられた非経済的任務と相まって、生産単位としての農家の存続を意義づけた。同様に、営農地主の大農場の存続が説明された。

p154より
全体主義国家は、自由業をも、自らの社会構造に組み込まねばならない。自由業は、軍事的には不要な存在である。もちろん、軍事社会においても、封建社会、資本主義社会、社会主義社会と同じように、自由業の使い道はある。しかし、まさに自由業がその本質において自由であり、かつ、いかなる社会においても役割をもちうることが、全体主義にとってはその抹殺の理由となる。

p155より
自由業を支配下におくことは、軍国主義なる脱経済社会の一貫性にとって不可欠である。さもなくば、全体主義に矛盾が生じる。自由業の支配にいたって、ようやく軍国主義の一貫性は保ちうる。
スポンサーサイト

テーマ:読書メモ - ジャンル:学問・文化・芸術

この記事に対するコメント

この記事に対するコメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する


この記事に対するトラックバック
トラックバックURL
→http://waterworks.blog7.fc2.com/tb.php/192-66a041f4
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。