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甲賀幻妖斎

  • Author:甲賀幻妖斎
  • 工学部出身ですが、社会に出ると技術系の知識よりも
    社会科学の知識が必要とされることを痛感。
    組織と人間、それを取り巻く社会の関係について考えています。
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望山馳死馬。
社会、組織、人間のかかわりについて考えています。 主に、読んだ本や映画のメモです。
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P・F・ドラッカー;経済人の終わり、第4章(3)
経済人の終わり

”P・F・ドラッカー (著), Peter F. Drucker (原著), 上田 惇生 (翻訳);経済人の終わり―全体主義はなぜ生まれたか”

2 知的エリートとキリスト教
p99より
一流の社会思想家と政治思想家のきわめて多くが、この50年間に、キリスト教に戻ってきた。彼らは例外なく、資本主義と社会主義の秩序は崩壊せざるをえないとの認識から、社会の基盤となるべきものを探すべく、キリスト教に入っていった。

p104より
たんに大衆が、キリスト教が行った建設的な仕事の意義を見逃し、その社会的、政治的立場の否定的側面だけを見ていたわけではない。事実上、教会自身、きわめてしばしば反動的な立場にたっていた。
唯物的な社会を容認できない教会としては、ブルジョア自由主義や社会主義には反対せざるをえない。しかしその教会にしても、すでに手中にしたかのように振るまってはいるが、社会のあり方について建設的な新しい信条を構築しているわけではない。
そのため教会は、ファシズム全体主義が、マルクス主義よりもさらに反宗教的であり、かつキリスト教の信条に反することを知っているはずであり、事実知っているにもかかわらず、きわめてしばしば全体主義の側に立ってしまう。この矛盾の悲劇を示したものが、オーストリアとスペインの歴史だった。
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テーマ:読書メモ - ジャンル:学問・文化・芸術

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