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甲賀幻妖斎

  • Author:甲賀幻妖斎
  • 工学部出身ですが、社会に出ると技術系の知識よりも
    社会科学の知識が必要とされることを痛感。
    組織と人間、それを取り巻く社会の関係について考えています。
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望山馳死馬。
社会、組織、人間のかかわりについて考えています。 主に、読んだ本や映画のメモです。
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P・F・ドラッカー;経済人の終わり、第1章(4)
経済人の終わり

”P・F・ドラッカー (著), Peter F. Drucker (原著), 上田 惇生 (翻訳);経済人の終わり―全体主義はなぜ生まれたか”

p17より
ファシズムによるヨーロッパの伝統の否定のなかでも、とくに重要な意味をもつものが一つある。それは、政治と社会の基盤としての権力を、大衆の福祉向上のためのものとして、正当化しなければならないという、ヨ-ロッパの伝統さえ否定していることである。ヨーロッパの伝統的概念や理念のうち、この権力の正当化ほどファシズムが徹底して馬鹿にしているものはない。
ファシズムは、「権力は自らを正当化する」ことを自明のこととする。今日、このまったく新奇な説が広く受け入れられるにいたっていることほど、ヨーロッパにおいて全体主義革命がいかに進行してしまったかを示すものはない。実際、この教義こそ驚くべきイノベーションである。

p18より
ヨーロッパの伝統に根ざしたあらゆる体制のなかで、権力の正当性こそ中心的な問題である。なぜならば、この考えにたつことによってのみ、自由と平等の概念、あるいはかつて正義といわれていたものを社会的、政治的な現実に結びつけることができるからである。そして自由と平等こそ、キリスト教伝来以来のヨーロッパにおいて、基本的な理念でありつづけてきたものである。しかし、ファシズムにおいては、それも「ユダヤ的自由主義」の 嗤うべき遺物にすぎない。
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