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甲賀幻妖斎

  • Author:甲賀幻妖斎
  • 工学部出身ですが、社会に出ると技術系の知識よりも
    社会科学の知識が必要とされることを痛感。
    組織と人間、それを取り巻く社会の関係について考えています。
    ”Top Page” に戻る。

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望山馳死馬。
社会、組織、人間のかかわりについて考えています。 主に、読んだ本や映画のメモです。
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【読書中】クラウス・コルドン、ベルリン1919(110/656)
ベルリン1919

”ベルリン1919”

第一次世界対戦末期のドイツの状況(ソ連の革命に呼応する形でドイツの革命が始まり、挫折するまで)を知るために借りて来ました。
たまたま図書館で見つけただけですが(笑)。
日本の先生はあまり本や論文に小説からの引用はないのですが、
(だから読んでいてもつまらない)
欧米の論文を読んでいると結構小説を読んでいて引用したりしています。
やっぱり勉強1本じゃないんですね。見習いたいです。
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【読書メモ】マックス・ウェーバー;社会主義(1)
”マックス・ウェーバー (著), 浜島 朗 (翻訳);社会主義 講談社学術文庫 511”

p36より
長年にわたる専門的訓練、不断に進展して止まぬ専門分化、およびそのように教育された専門官僚群による管理の必要という事実は、社会主義といえども考慮に入れなければならない第一の事実なのであります。近代経済をそれ以外の方法で管理することはできません。

テーマ:読書メモ - ジャンル:本・雑誌

【読書メモ】P・F・ドラッカー;経済人の終わり、第8章(5)
”P・F・ドラッカー (著), Peter F. Drucker (原著), 上田 惇生 (翻訳);経済人の終わり―全体主義はなぜ生まれたか”

p257より
われわれは、直ちに第三の道を見つけなければならない。現在の経済社会の基礎を前提にしつつ、新しい自由で平等な脱経済社会を見つけ、発展させなければならない。

p258より
いずれにしても軍事力は、世の常として、来るべき戦争ではなく、この前の戦争に備えてします。このことは、経済学者がつねにこの前の不況に備え、株の投機を行う者がこの前のブーム時に人気のあった株を買うように、過去の経験の他に頼るもののない仕事では止むをえないことかもしれない。
しかし、少なくともこのような認識は必要である。この認識さえあれば、全体主義を真似、軍事的要請を超えた社会的要請に基づいて軍事体制化を推進することに対しては、疑念が生ずるはずである。

テーマ:読書メモ - ジャンル:本・雑誌

【読書メモ】P・F・ドラッカー;経済人の終わり、第8章(4)
”P・F・ドラッカー (著), Peter F. Drucker (原著), 上田 惇生 (翻訳);経済人の終わり―全体主義はなぜ生まれたか”

3 新しい社会
p256より
そのように決定的に重要な意味をもつ戦争というものは、昔から、たとえ戦場では弱くとも、精神的、社会的に強いものが勝つことになっている。

p256より
もし、次の戦争において全体主義が勝つならば、ヨーロッパは、その秩序が完全に崩壊した13世紀や16世紀に匹敵する暗黒と絶望の時代に入る。しかし、いつかは全体主義は崩壊し、その暗黒のなかから、やがて自由と平等に基づく新しい秩序が現れる。

テーマ:読書メモ - ジャンル:本・雑誌

【読了】手島 勲矢;わかるユダヤ学
わかるユダヤ学

”手島 勲矢 (著);わかるユダヤ学”

”P・F・ドラッカー;経済人の終わり―全体主義はなぜ生まれたか”
”第7章 4 ブルジョア資本主義の化身としてのユダヤ人”に、

p205より
その原因は、まさにドイツのユダヤ人とドイツ人のブルジョア中流階級との間に、いかなる相違も対立も違和感もなくなってしまっていたところにある。ナチズムは、ユダヤ人が異物であるがゆえに迫害しているのではない。逆に、ほとんど完全に同化し、ユダヤ人でなくなっているがゆえに迫害する。

と書かれており、
ピンと来なかったので本書を読んでみたのですが、
●ユダヤ人がイメージとして”金持ち”とされているが、多くのユダヤ人はそうではなかったこと、
●ユダヤ人の殺害は地域差があり、主にドイツのソ連侵攻により始まったこと、
●フランス革命におけるユダヤ人差別の助長、
など大変参考になりました。
もちろん上述の意味も確認出来ました。感謝。
[READ MORE...]
【読書メモ】P・F・ドラッカー;経済人の終わり、第8章(3)
”P・F・ドラッカー (著), Peter F. Drucker (原著), 上田 惇生 (翻訳);経済人の終わり―全体主義はなぜ生まれたか”

p254より
たしかに、彼らとその部下、支持者は、優秀なナチス党員である。しかし彼らは、ナチズムにおける民族主義的、人種的信条よりも、脱経済社会と全体主義世界革命の実現をより重視している。

テーマ:読書メモ - ジャンル:本・雑誌

【WBC】ついに決勝へ。
私は野球が大好きである。贔屓のチームはホークスである。
まあそれはいいとして、
ほとんど”死に体”だったわが日本チーム、ついにキューバと決勝へ。
先日の韓国戦熱く見させてもらいましたよ。感謝。
韓国チームは福留のホームランのあと、がくっと気が抜けていましましたね。
ここまでくると本当に気持ちが大事ですね。
で今日ついにキューバーと決勝へ。
キューバーはアマチュアというけれども、
よくよく考えてみると、
野球して給料をもらっているのだから、プロフェッショナルではないか!
まあそんな事はさておいて、
面白い記事があったので紹介です。
”平成剣客浪漫譚さんのWBCの記事”には笑った。感謝。
キューバーも日本もがんばれ!
【読書メモ】P・F・ドラッカー;経済人の終わり、第8章(2)
”P・F・ドラッカー (著), Peter F. Drucker (原著), 上田 惇生 (翻訳);経済人の終わり―全体主義はなぜ生まれたか”

p243より
両国にとって真の敵は、今日でも自由の理念を維持し、経済に社会の基盤を置いている西ヨーロッパ諸国である。両国が否定し、拒否し、闘っている残骸を守ってくれる民主主義諸国である。

p248より
社会的、政治的な全体主義社会は、経済的にも全体主義たらざるをえない。たとえわずかなりとも、統制を緩めることや、非経済目的の従属に例外を認めることは、全体主義社会そのものにひびを入れ、危機を招く。

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【お知らせ】タイトルを決めました。
これまでタイトルに仮称を使ってきましたが
中国のことわざからピンとくるものがあったので、
それを使わせてもらいます。

望山馳死馬。
山が見えてもまだ馬を馳せ死なすほどの距離あり。

です。自分への戒めとして心に留めておきたい言葉です。
【読書メモ】P・F・ドラッカー;経済人の終わり、第8章(1)
”P・F・ドラッカー (著), Peter F. Drucker (原著), 上田 惇生 (翻訳);経済人の終わり―全体主義はなぜ生まれたか”

第8章 未来
1 独ソ開戦への期待
p238より
一人ひとりの人間の自由と平等の実現を目指す新しい脱経済社会を生み出さないかぎり、西ヨーロッパの民主主義の下にある国自身が、全体主義に陥る恐れさえある。

2 独ソの利害
p242より
マルクス主義による自由と平等の実現という信条が完全に崩れた結果、すでにソ連は、自由と平等が存在しない完全否定の社会、全体主義の社会、悪しき脱経済社会への道を歩んでいる。それはドイツと同じ道である。

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【読書メモ】P・F・ドラッカー;経済人の終わり、第7章(9)
”P・F・ドラッカー (著), Peter F. Drucker (原著), 上田 惇生 (翻訳);経済人の終わり―全体主義はなぜ生まれたか”

p231~232
純粋否定の福音ではなく肯定の信条をもたらし、意味のない犠牲ではなく人生の意義と社会の意味をもたらし、人間の実存の否定ではなく人間の尊厳と価値をもたらしてくれる新しい秩序が到来するならば、全体主義は、いかに自らの力を強化しようとも、防禦することはできない。

p235より
得られぬ自由と平等を追求する努力は、西洋の歴史の原動力である。その過程において、追い求める社会が高次の領域へ移行したか、逆に低次の領域へ移行したかは、別の問題である。しかし、そのような西洋に特有の原動力と救世の精神が、西洋の文明を動かしてきたことは間違いない。その間、他の文明はすべて静的だった。

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【読書メモ】P・F・ドラッカー;経済人の終わり、第7章(8)
”P・F・ドラッカー (著), Peter F. Drucker (原著), 上田 惇生 (翻訳);経済人の終わり―全体主義はなぜ生まれたか”

p228より
全体主義の指導者原理は、政治理念にかかわる問題の解決にも失敗せざるをえない。それが全体主義の矛盾を解決できるのは、知的、精神的緊張が増大しつつある間だけである。
人間は、信仰回復運動のような緊張の中で生きつづけることはできない。ところが、全体主義の維持のためには、そのような緊張の持続が不可欠である。

p230より
オーストリアで瞬間的に生まれたナチズムの代わるべきものの夢が、ヒトラーの侵略によって打ち破られるや、全体主義への信仰が直ちに息を吹き返した。

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【読書メモ】P・F・ドラッカー;経済人の終わり、第7章(7)
”P・F・ドラッカー (著), Peter F. Drucker (原著), 上田 惇生 (翻訳);経済人の終わり―全体主義はなぜ生まれたか”

6 指導者原理
p224~p225
全体主義において、指導者が人間であるのは、その肉体だけである。指導者は、精神の世界において、人間の本質としての脆弱性、倫理性、社会性を越えた存在である。彼らはつねに正しい。無謬である。指導者の意思が善と悪を規定する。指導者の地位は、社会の外にあって、社会を超える。社会の規範を超越する。

p226より
ヒトラーの無謬性やムッソリーニの無謬性が、そもそも神秘主義の教義である。これを信ずることでしか、世界と社会を合理の存在とし、耐えうるものとすることはできない。なぜならば、これを信ずることによってのみ、全体主義に対する信仰が可能となるからである。

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【読書メモ】P・F・ドラッカー;経済人の終わり、第7章(6)
”P・F・ドラッカー (著), Peter F. Drucker (原著), 上田 惇生 (翻訳);経済人の終わり―全体主義はなぜ生まれたか”

p216より
ファシズムは、組織の名のもとに個人のあらゆる自由を抹殺し、既存のあらゆるコミュニティー、社会的有機体を破壊する。

p219より
自らを目的化し、かつ正当化する完全に集権化された組織は、計画書を聖とする。そこで、計画書が失敗すれば、すべてが失敗する。

p224より
幻想であることを知りながら、それを信じなければならないことの矛盾を解くことは、いかなる人間にも、いかなる組織にもできない。
全体主義には神は存在しない。しかし、全体主義は自らの矛盾を解くために、悪魔、超人、魔術師を必要とする。ここにおいて、邪を正、偽を真、幻を現実、空虚を実体に変えるために、「指導者」が必要となる。

テーマ:読書メモ - ジャンル:本・雑誌

【読書メモ】P・F・ドラッカー;経済人の終わり、第7章(5)
”P・F・ドラッカー (著), Peter F. Drucker (原著), 上田 惇生 (翻訳);経済人の終わり―全体主義はなぜ生まれたか”

5 組織がすべて
p214より
つまるところ、組織そのものが、自らを正当化する社会的秩序であるとしなければならない。社会組織の外殻はあらゆる社会実体に勝る。容器としての形態こそ、最高の社会的実体である。こうして組織が信条そのものとなる。

p215より
民主主義が全体主義に劣っているのは、平等を実現できないからではない。100万人集会を組織できず、指導者への一切歓呼を送れないからである。資本主義が全体主義経済に劣っているのは、それが恐慌をもたらすからではなく、外国為替を管理できないからである。

テーマ:読書メモ - ジャンル:本・雑誌

【読書メモ】P・F・ドラッカー;経済人の終わり、第7章(4)
”P・F・ドラッカー (著), Peter F. Drucker (原著), 上田 惇生 (翻訳);経済人の終わり―全体主義はなぜ生まれたか”

p211~p212
全体主義を信奉する者にとって、悪魔の化身を抑圧し迫害することは、正しいだけではない。当然のことである。彼らは、なぜこの悪魔が外国人の目には見えないかが理解できない。彼らとしては、彼らの教義と行動に対する外国の反対は、陰謀、偽善、弱気、あるいは頭のおかしさのゆえとしか思われない。

p213より
しかし、大衆が乗り気でなく、抵抗しているにもかかわらず、政府が反ユダヤ主義を強化し、カトリック攻撃を加速化するなどということはありえない。大衆の意思に反して何かをするという全体主義政権はありえない。何ものにも束縛されない絶対的存在である「総統」でさえ、民主主義国の政府よりも、大衆の鼻息をうかがっている。

テーマ:読書メモ - ジャンル:本・雑誌

【読書メモ】P・F・ドラッカー;経済人の終わり、第7章(3)
”P・F・ドラッカー (著), Peter F. Drucker (原著), 上田 惇生 (翻訳);経済人の終わり―全体主義はなぜ生まれたか”

4 ブルジョア資本主義の化身としてのユダヤ人
p199より
人種的反ユダヤ主義の本当の原因は、当時のブルジョア階級をめぐる社会構造が、ユダヤ人を邪悪なブルジョア資本主義と自由主義の代表としてとらえることを、必然とまではいかなくとも、可能にしたことにある。

p205より
その原因は、まさにドイツのユダヤ人とドイツ人のブルジョア中流階級との間に、いかなる相違も対立も違和感もなくなってしまっていたところにある。ナチズムは、ユダヤ人が異物であるがゆえに迫害しているのではない。逆に、ほとんど完全に同化し、ユダヤ人でなくなっているがゆえに迫害する。

p206より
ナチズムの反ユダヤ主義は、ブルジョア階級の秩序や人間観に代えるべき肯定の概念を構築できなかったことに起因する。階級闘争に走るわけにいかないナチズムとしては、別の観点からブルジョア資本主義と自由主義を攻撃せざるをえない。

【読書メモ】P・F・ドラッカー;経済人の終わり、第7章(2)
”P・F・ドラッカー (著), Peter F. Drucker (原著), 上田 惇生 (翻訳);経済人の終わり―全体主義はなぜ生まれたか”

2 聖なる戦い
p191より
このような状況では、逃げ道は一つしかない。すべてを他の者のせいにすることである。ファシズムによって解決し、克服し、調和させることのできない矛盾は、外部の脅威たる敵のせいである。目に見えない魔物との戦いは、目に見える特定の人間や勢力との戦争に取って代わらなければならない。

3 反ユダヤ主義の原因
p194より
反ユダヤ主義は、それが野蛮で残虐であるがゆえにではなく、まさに全体主義革命の力学と論理を示しているがゆえに、徹底した分析を必要とする。しかも、それは今日最も理解されていない部分である。

p198より
つねづねドイツのユダヤ人は、宗教的な障害を乗り越えた国民運動によって、ドイツ人と完全に一体化する機会を待ち望んでいた。ナチズム政権の初期の頃、ユダヤ教正統派のラビたちが、反ユダヤ主義は神の下した罰であり、ユダヤ人の民族性と宗教の喪失を防ぐ天意であるとみたことは、理由のないことではなかった。

テーマ:只の日記つかメモ。 - ジャンル:学問・文化・芸術

P・F・ドラッカー;経済人の終わり、第7章(1)
”P・F・ドラッカー (著), Peter F. Drucker (原著), 上田 惇生 (翻訳);経済人の終わり―全体主義はなぜ生まれたか”

第7章 奇跡か蜃気楼か
1 戦争と平和
p187より
「英雄人」なる全体主義の概念の中核にるものは、個々の人間の犠牲である。それは、まさに不合理な魔物たちを退治するための最古の呪術的概念である。

p189より
新しい秩序を生み出そうとするファシズムの試みが失敗に終わるのは、この矛盾のためである。失業という魔物は退治した。戦争の合理性も明らかにした。しかし戦争の合理化は、社会そのものを無意味なものにしなければ成立しない。よって、奇跡は不可能である。

p190より
軍国主義は、戦争が悪としてではなく、疑問の余地のない善として捉えられないかぎり正当化することはできない。ところが今日、ファシズムへの期待の原因ともなっている戦争への嫌悪感は、戦争がまぎれもない悪とみられていることを示している。
【読書中】手島 勲矢;わかるユダヤ学
よくわかるユダヤ学

”手島 勲矢 (著);わかるユダヤ学”

ユダヤ教に関する基礎知識収集のため図書館で借りて来ました。
最初の出だしが、山本七平ペンダサンと浅見定雄・本多勝一の論争のことが書かれてれていて、なんか懐かしいです。
ぼちぼち読みます。
P・F・ドラッカー;経済人の終わり、第6章(12)
”P・F・ドラッカー (著), Peter F. Drucker (原著), 上田 惇生 (翻訳);経済人の終わり―全体主義はなぜ生まれたか”

5 資源の輸入問題
p173より
原材料の輸入は輸出によって賄う必要がある。そして、そのような輸出のための製品は、軍需生産以外への投資によって生産しなければならない。しかし、そのような投資は、軍需生産への投資が増加させられていく分、縮小していかざるをえない。

p183より
全体主義が行おうとする奇跡は、経済学では証明も否定もできない。全体主義社会の安定性についても、経済学からは多くをいえない。それらの問題は、全体主義が社会的、政治的な奇跡を行えるか、魔物を退治できるか、社会の合理と世界の合理を回復できるか否かにかかっている。
P・F・ドラッカー;経済人の終わり、第6章(11)
経済人の終わり

”P・F・ドラッカー (著), Peter F. Drucker (原著), 上田 惇生 (翻訳);経済人の終わり―全体主義はなぜ生まれたか”

p167より
厳密にいうならば、経済的に有利な資本財への投資は一種類しかない。他のさらに価値ある製品を生産するための資本財の生産である。とするならば、個々の労働者の健康と体力、および人口水準の維持に必要な消費を別として、あらゆる消費が経済的には浪費であるということになる。したがって、軍需生産のような経済的に非生産的な投資を、同じように非生産的な諸々の消費を削って賄ったとしても、経済的な状況は何ら変わらないはずである。

p168より
生産性とは、投資による消費能力の増大を意味する。しかるに、消費の増大と生活水準の向上を目的とすることを認めないドイツやイタリア、およびそれを事実上認めていないソ連においては、そもそも生産性なるものが意味をなさない。

p170より
大衆が消費の削減を受け入れ、消費材の代わりに生産されるものを望ましいものとして受け入れるかぎり、全体主義は機能する。「バターよりも大砲を」という言葉は、経済的な代替についていっているのではない。精神的、社会的な選択についていっている。
【読了】ギュンター ヴァルラフ;最底辺―トルコ人に変身して見た祖国・西ドイツ
”ギュンター ヴァルラフ;最底辺―トルコ人に変身して見た祖国・西ドイツ”

この本はすごいわ、マジで。
ギュンター ヴァルラフさんは本物のジャーナリストですね。
久しぶりに読んでいて重い気持ちになりました。
ドイツ人のトルコ人に対する強烈な差別意識、”神の前の平等”がいかにインチキであるか、資本主義社会の現実を読者につきつけ、”ドイツの反映が実は移民によって成り立っていること”、”人間の尊厳とは?”を問いかけています。
本当にすごいジャーナリストです。まいった。

テーマ:本の紹介 - ジャンル:学問・文化・芸術

【読書中】ギュンター ヴァルラフ;最底辺―トルコ人に変身して見た祖国・西ドイツ
”ギュンター ヴァルラフ;最底辺―トルコ人に変身して見た祖国・西ドイツ”

p90より
アリの洗礼希望は全くの例外であるにもかかわらず、満ち足り飽食し、ひとりよがりな”キリスト者”社会の共同体管轄教区に、アリがいることはどんなことがあっても、我慢がならないらしい。トルコ人たちが、学校や郊外や駅などにたむろしているのを耐えるだけで、もう沢山、なのだ。せめてこの国の教会だけでも-ガラ空きではあるが-トルコ人抜きの清潔な状態に保つべき、と考えているのだ。


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