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甲賀幻妖斎

  • Author:甲賀幻妖斎
  • 工学部出身ですが、社会に出ると技術系の知識よりも
    社会科学の知識が必要とされることを痛感。
    組織と人間、それを取り巻く社会の関係について考えています。
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望山馳死馬。
社会、組織、人間のかかわりについて考えています。 主に、読んだ本や映画のメモです。
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【読書中】ギュンター ヴァルラフ;最底辺―トルコ人に変身して見た祖国・西ドイツ
”ギュンター ヴァルラフ;最底辺―トルコ人に変身して見た祖国・西ドイツ”

ドラッカーは”経済人の終わり―全体主義はなぜ生まれたか”において、

p205より
その原因は、まさにドイツのユダヤ人とドイツ人のブルジョア中流階級との間に、いかなる相違も対立も違和感もなくなってしまっていたところにある。ナチズムは、ユダヤ人が異物であるがゆえに迫害しているのではない。逆に、ほとんど完全に同化し、ユダヤ人でなくなっているがゆえに迫害する。

と述べていますが、”最底辺”を読むかぎり、やはりドイツ人は”ユダヤ人やトルコ人を自分達とは別だという意識(選民意識)”があると思いますね。
完全に同化しているのは社会が安定している時にだけ表面的、政治的に言われることであって、心の中では排除しているのだと思います。だからこそ、”ブルジョア資本主義の化身としてのユダヤ人”にされたのではないでしょうか?
特に、著者がトルコ人に変装して、イスラム教からキリスト教への改宗を願い出るところは、理屈じゃないんだなと思います。この本はすごい!
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テーマ:読書メモ - ジャンル:学問・文化・芸術

【読書中】ギュンター ヴァルラフ;最底辺―トルコ人に変身して見た祖国・西ドイツ
”ギュンター ヴァルラフ;最底辺―トルコ人に変身して見た祖国・西ドイツ”

p42より
米国の陸軍対象エイブラムズは、マクドナルドこそそうあるべき国民本来の学校だ、と言っている。「若い者にとって、マクドナルドで働くことは、とてもいい薬になる。マクドナルドは能率的な人間に、仕立て上げるからだ。ハンバーガーの見た目がちゃんとしていなければ、それを調理したヤツはすぐ解雇される。このシステムは、我が軍が熱心に見習うべきである、音もせず故障もなく作動中の機械装置のようだ。」

テーマ:読書メモ - ジャンル:学問・文化・芸術

P・F・ドラッカー;経済人の終わり、第6章(10)
経済人の終わり

”P・F・ドラッカー (著), Peter F. Drucker (原著), 上田 惇生 (翻訳);経済人の終わり―全体主義はなぜ生まれたか”

p165より
公債発行残の伸びは、民間から政府への富の移転であって、新たな信用の創出にはつながらない。むしろ国民経済全体における信用量は減少している。

p166より
はるか先の経済的満足のために、今日犠牲を払うことなど、説得はおろか強制することもできない。犠牲は、経済とは関係のない目的のためでなければならない。全体主義社会は、脱経済社会である。その目的は軍国主義のための軍事的自足である。

テーマ:読書メモ - ジャンル:学問・文化・芸術

P・F・ドラッカー;経済人の終わり、第6章(9)
経済人の終わり

”P・F・ドラッカー (著), Peter F. Drucker (原著), 上田 惇生 (翻訳);経済人の終わり―全体主義はなぜ生まれたか”

p164より
一般に考えられているところとは違って、ユダヤ人の財産没収、および迫りつつあるカトリック教会の財産没収は、これらの問題とは別次元である。

p164より
財産没収や強制労働は、経済的動機ではなく、社会的、政治的動機に基づいて行われる。経済的な効果は結果にすぎない。反ユダヤ政策は、章を改めて述べるように、経済的な嫉妬ではなく、経済とは関係のない社会目的、政治目的のもとに行われる。同じことは、カトリック教会の弾圧についてもいえる。

テーマ:読書メモ - ジャンル:学問・文化・芸術

P・F・ドラッカー;経済人の終わり、第6章(8)
経済人の終わり

”P・F・ドラッカー (著), Peter F. Drucker (原著), 上田 惇生 (翻訳);経済人の終わり―全体主義はなぜ生まれたか”

p159より
特権階級とは、まず自らを犠牲にすべき階級であって、まさに他の者よりも犠牲を払うからこそ特権階級である。「経済人」の社会たる共産主義社会では、経済的な犠牲は、社会的な地位の低下を意味する。これに対し、全体主義社会では、経済的な犠牲は社会的な地位を向上させ、社会的な権力を強化するとされる。

p160より
実際は、犠牲を払わされているのは、労働者階級以外の階級である。彼らは、得るべき利益を強奪され、生活水準の低下を強いられている。今日、生活水準の引き下げは、かつてその水準が高かった者、経済的に恵まれていた者ほど幅が大きい。そもそも所得の購買力が大幅に切り下げられている。
P・F・ドラッカー;経済人の終わり、第6章(7)
経済人の終わり

”P・F・ドラッカー (著), Peter F. Drucker (原著), 上田 惇生 (翻訳);経済人の終わり―全体主義はなぜ生まれたか”

4 全体主義の経済
p156より
全体主義経済が資本主義経済と根本的に異なるところは、前者が、あらゆる経済目的をある一つの社会的目的の手段として位置付けているところにある。すなわち、完全雇用である。国民所得の増大や経済発展は結果にすぎない。

p157より
完全雇用は、所得のうち、消費ではなく貯蓄に回す分を増加させることによってのみ達成されるとの結論を導き出す。消費は人為的に抑制しなければならない。すなわち、全体主義経済の秘密は、「消費管理」にある。

テーマ:読書メモ - ジャンル:学問・文化・芸術

P・F・ドラッカー;経済人の終わり、第6章(6)
経済人の終わり

”P・F・ドラッカー (著), Peter F. Drucker (原著), 上田 惇生 (翻訳);経済人の終わり―全体主義はなぜ生まれたか”

p152より
軍国主義の非経済的側面は、産業の外の階級、すなわち、農民と自由業のおかれた地位をみれば、さらに明確となる。ファシズムをとる両国における経済活動に対して、最初にして最大の長期にわたる政府干渉は、農業の組織化においてみられた。

p154より
農民は、戦争において戦闘する「第三帝国の兵士」であり、第1線の歩兵である、この第1線の歩兵としての軍事的な疑似機能が、「民族の背骨」としての農民に与えられた非経済的任務と相まって、生産単位としての農家の存続を意義づけた。同様に、営農地主の大農場の存続が説明された。

p154より
全体主義国家は、自由業をも、自らの社会構造に組み込まねばならない。自由業は、軍事的には不要な存在である。もちろん、軍事社会においても、封建社会、資本主義社会、社会主義社会と同じように、自由業の使い道はある。しかし、まさに自由業がその本質において自由であり、かつ、いかなる社会においても役割をもちうることが、全体主義にとってはその抹殺の理由となる。

p155より
自由業を支配下におくことは、軍国主義なる脱経済社会の一貫性にとって不可欠である。さもなくば、全体主義に矛盾が生じる。自由業の支配にいたって、ようやく軍国主義の一貫性は保ちうる。

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”関東軍―在満陸軍の独走”読了。
関東軍

”関東軍―在満陸軍の独走 講談社学術文庫”

この本を組織論の立場から見るとなかなか面白いです。

p171~172
こうして、一師団長の独断によって引き起こされた戦闘は、何らの成果をあげないどころか、師団全体の20%以上の兵力を失うという結果を残して終結した。しかも、師団長の責任はまったく追及されることなく、また積極論を展開した少壮参謀たちの責任も追及されなかった。その結果は、敗戦を敗戦として自覚することを妨げ、ソ連極東軍の強力な戦力、とくにその物的な力についての正確な評価さえも行われないこととなったのである。

責任が明確になされない場合、組織は腐っていきますね。
これが日本社会の風土なのかどうか、普遍的なものなのかは、まだ分かりません。
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”中央”と”現場”の問題意識の捉え方の差異について
中央が、現場サイドの意見を真摯に受け止め解決しようとしない場合に引き起こされる事例として、
”関東軍―在満陸軍の独走 講談社学術文庫”の以下の記述は本当に参考になります。
関東軍

p160より
満州国の国防を一手に引き受ける関東軍には、”現地”の駐箚軍として、中央の政府・陸軍省・参謀本部の情勢判断が、ややもすればなまぬるいものと感じられた。そしてその過剰なまでの責任意識、対ソ危機感が、満州国を築いた自信や実力とあいまって、時に中央との対立関係を起こさせることとなった。

まあ対立だけならともかく、この対立が長引けば長引くほど、結局は現場サイドの腐敗をもたらし、組織として機能しなくなってくる(末期的症状)わけです。普遍的現象です。
”関東軍―在満陸軍の独走”を読んでいます。
関東軍

”関東軍―在満陸軍の独走 講談社学術文庫”

官僚制について、ちょっと勉強してみようと思い、
ウェーバーを読んでいるのですが、
”もしかしたらウェーバーの描く官僚制と日本の官僚制は違うのでは?”
という疑念が自分の生じてきています。
で、それの補足として”関東軍”を読んでいます。
前々から日本の近代史には興味があったのですが、
あまり手を出さなかった分野なので新鮮です。

以下、メモ。
p83より
元来陸軍には、明治33年(1900年)の義和団事件鎮圧を目的とする中国出兵のときから、国外出兵の場合は閣議での経費支出の承認と、奉勅命令の伝宣を必要とするという慣例があった。だが一方『陣中要務令』では、日本陸軍は上、軍司令官より、下、一兵にいたるまで、独断専行、機宜に応ずるための修養訓練が極度に要求され、いたずらに命令が下るのを待って機を失するようなものは天皇の統率する軍隊の列に加えることができない、と教えている。そして、この矛盾する両者をどのように使い分けるかについては、陸軍部内でもはっきりした解答を持たなかったようである。

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P・F・ドラッカー;経済人の終わり、第6章(5)
経済人の終わり

”P・F・ドラッカー (著), Peter F. Drucker (原著), 上田 惇生 (翻訳);経済人の終わり―全体主義はなぜ生まれたか”

p148より
軍国主義とは、経済の軍事化だけでなく、社会のあらゆる関係を上級士官と下級士官、士官と兵隊の関係に代えることを意味する。

p148より
軍国主義は、マルクス主義のいう資本主義における収奪者による労働者の完全な奴隷化と同じである。それは労働者の自由を奪う。労働組合を抑圧する。ストライキを許さない。働くべき時間さえ命令する。辞めることや転職することは許されない。許可なくして転居させない。出国をさせない。給与所得者も肉体労働者と同じように扱う。こうしてマルクス主義理論の予言どおり、社会的、政治的プロレタリア化が成就する。

p150より
資本家の側に意志決定や管理の自由が残されていないにもかかわらず、たんに私的利潤の概念が残されているというだけの理由で、このような体制を資本主義と呼ぶ人がいる。

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P・F・ドラッカー;経済人の終わり、第6章(4)
経済人の終わり

”P・F・ドラッカー (著), Peter F. Drucker (原著), 上田 惇生 (翻訳);経済人の終わり―全体主義はなぜ生まれたか”

3 軍国主義
p145より
現代社会において、個々の人間の位置付け、役割、報奨が経済活動と完全に切り離されている組織は、教会を除くならば国民皆兵の軍隊だけである。

p145より
あらゆる経済活動と社会活動を軍事体制下におくという軍国主義は、産業社会の形態を維持しつつ、社会に対し非経済的な基盤を与えるという、きわめて重要な社会的役割を果たしうる。しかも同時に、完全雇用をもたらし、失業という魔物を退治する役割を果たす。

p146より
たしかにナポレオンの軍は、純軍事的な目的のために編成された。しかしその組織は、誰でも元帥杖を持てるようになるというフランス革命後の平等社会を忠実に反映していた。しかも、それを現実のものとすることによって、社会的にきわめて重要な役割を果たした。

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P・F・ドラッカー;経済人の終わり、第6章(3)
経済人の終わり

”P・F・ドラッカー (著), Peter F. Drucker (原著), 上田 惇生 (翻訳);経済人の終わり―全体主義はなぜ生まれたか”

2 社会有機体説
p139より
通常、社会有機体説は、非経済的な不平等を正当化するために、諸々の階級がそれぞれ経済的な機能において、同じように重要な存在であることを説くだけである。ところが、ファシズムの社会有機体説においては、経済的な不平等を相殺するために、非経済的な社会的価値、位置付けと役割を実際につくり出す。

p140より
小農は、特別の法令によって保護され、諸々の演説、催事、祝祭において賞賛されるだけではない。町育ちの少年少女が彼らの下で一定期間働くことを命ずることによって、その地位を著しく高められている。彼ら小農が享受している無料の労働力、およびその他諸々の経済的助成は膨大である。しかしそれらのものであさえ、穀物生産の強制に伴う経済的な疲弊を補うことはできない。

p142~p143
このような非経済的な優越感の発揮の仕組みと、階級間の妬みによるいじめは、資本主義や社会主義の世界に生きる者には想像できないほど成功している。それは社会の下層において、社会的な平等感をもたらすうえで役立っている。

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P・F・ドラッカー;経済人の終わり、第6章(2)
経済人の終わり

”P・F・ドラッカー (著), Peter F. Drucker (原著), 上田 惇生 (翻訳);経済人の終わり―全体主義はなぜ生まれたか”

p136より
全体主義は資本主義か社会主義かという問いは、問い自体が間違っている。もちろん、いずれでもない。ファシズムは、資本主義と社会主義のいずれも無効と断定し、それら2つの主義を超えて、経済的要因によらない社会の実現を追求する。
唯一関心のある経済問題は、生産機構を円滑に機能させることである。生産が誰の費用によって、誰の利益のために行われるかは二の次である。経済的成果などは、社会的な課題の遂行に伴う副産物にすぎない。

p137より
その第一歩は、社会の恵まれない層に対し、恵まれた層の特徴だった非経済的な贅沢を与えることである。それは就業時間外の組織活動を通じて行われる。ドイツでは「楽しみの力」プログラムであり、イタリアでは「労働後」プログラムである。
いずれも組織活動への参加自体が強制であり、ナチズムやファシズムに敵対的な層を政治的にコントロールするためのものである。会合はすべて、党と警察の監視付きである。
そして歓心を引くための褒美が用意されている。古代ローマから共産主義のソ連にいたる間、その効果が証明されてきた金銭的な報奨は使わない。教宣や研修に加え、金銭的な報奨よりも費用のかかる演劇、オペラ、コンサートの切符、アルプスや外国への旅行、冬場の地中海やアフリカ、夏場のノルカップ岬への船旅を用意している。

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P・F・ドラッカー;経済人の終わり、第6章(1)
経済人の終わり

”P・F・ドラッカー (著), Peter F. Drucker (原著), 上田 惇生 (翻訳);経済人の終わり―全体主義はなぜ生まれたか”

第6章 ファシズムの脱経済社会
1 産業社会の脱経済化
p134より
ドイツとイタリアの全体主義において、最も重要でありながら最も知られていない側面が、個々の人間の位置付けと役割を、経済的な満足、報酬、報奨ではなく、非経済的な満足、報酬、報奨によって規定していることである。

p136より
ヒトラーを支持した者は、下層中流階級、肉体労働者、農民など、当時の社会の不合理と悪魔性に苦しめられていた層だった。ナチスの資金の四分の三は、1930年以降でさえ、農民や失業者が毎週払う党費や大衆集会への参加費によって賄われていた。

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【読了】”P・F・ドラッカー;経済人の終わり―全体主義はなぜ生まれたか”
”P・F・ドラッカー;経済人の終わり―全体主義はなぜ生まれたか”も読み終わり、今は”マックス・ウェーバー;社会主義”のメモをとっています。
次はとりあえず、”マックス・ウェーバー;官僚制”を読もうかと思っています。
”エーリッヒ・フロム;自由からの逃走”を読もうかとも考えましたが、
”官僚制”の方が短いので。
”経済人の終わり”の原著はもうちょっと後で読むつもりです。
P・F・ドラッカー;経済人の終わり、第5章(2)
経済人の終わり

”P・F・ドラッカー (著), Peter F. Drucker (原著), 上田 惇生 (翻訳);経済人の終わり―全体主義はなぜ生まれたか”

3 ムソリーニとヒトラー
p127より
そして、大衆のものとして根付いていなかった民主主義の実体が崩壊した。実体が崩壊した以上、民主主義の信条、象徴、制度もまた、大衆の側からのいかなる精神的、心理的抵抗も受け入れることなく、またたく間に崩壊した。

4 ドイツのナチズムとイタリアのファシズムの違い
p129より
西ヨーロッパ諸国における全体主義に対する抵抗は、大衆が民主主義に対して抱いている心理的、知的愛着だけである。この大衆の愛着が、民主主義の実体が失われた後においてさえ、民主主義の形式に対し、ある種の実体を与える。しかも、大衆の愛着を伴う伝統の力は強力であり、かなりの長期にわたってその形式の保持を可能とする。

p129より
両国は、国家統一が西ヨーロッパにもたらした利益を享受できず、新秩序による不利益と欠陥をすべて被ることとなった。それは、行政の中央集権化、王家による独裁、法の形式主義、宮廷の華美と浪費だった。さらに悪いことには、両国は、政治的、経済的、思想的に完全に無能化し、西ヨ-ロッパ諸国の意のままにされた。30年戦争からナポレオン戦争にいたる間、ドイツとイタリアがヨーロッパの主戦場だったことが象徴的だった。

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P・F・ドラッカー;経済人の終わり、第5章(1)
経済人の終わり


”P・F・ドラッカー (著), Peter F. Drucker (原著), 上田 惇生 (翻訳);経済人の終わり―全体主義はなぜ生まれたか”

第5章 全体主義の奇跡-ドイツとイタリア
1 ドイツ人とイタリア人の国民性
p116~p117
西ヨーロッパ諸国は、どれだけファシズムの毒に対して抵抗力があるか、どこまでドイツとイタリアに追随するかという問いに答えるには、この両国において、民主主義がなぜ崩壊したかを分析しなければならない。

p121より
19世紀のドイツとイタリアにおいて大衆の精神的連帯をもたらしたものは、ブルジョア秩序ではなく国家統一への熱気だった。民主運動というよりも、国家統一運動だった。数々の戦が戦われ、犠牲の血が流されたのは国家統一のためだった。ブルジョア秩序は、国家統一のための手段として受け入れられたにすぎなかった。

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P・F・ドラッカー;経済人の終わり、第4章(5)
経済人の終わり

”P・F・ドラッカー (著), Peter F. Drucker (原著), 上田 惇生 (翻訳);経済人の終わり―全体主義はなぜ生まれたか”

4 ファシズムとキリスト教
p111より
彼らは、ブルジョア自由主義と社会主義がキリスト教の価値感と同じ基盤にたっているのに対し、ファシズムがキリスト教の価値観の基盤そのものを否定していることを理解していない。あるいは理解できない。

p111より
実は、教会内の野党たる多数派は、そのような財産の概念が、やがて財産とその管理との分離、および貨幣経済への財産の従属化を招き、ついには大衆の貧困化と、少数の恵まれた者の富裕化をもたらすことを知っていた。しかも彼らは、経済的な地位を唯一の社会的基盤とする唯物的な「経済人」が、財産の堕落をもたらすことさえ認識していた。

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P・F・ドラッカー;経済人の終わり、第4章(4)
経済人の終わり

”P・F・ドラッカー (著), Peter F. Drucker (原著), 上田 惇生 (翻訳);経済人の終わり―全体主義はなぜ生まれたか”

3 教会の無意味性
p106より
キリスト教が、新しい社会の基盤を提供することに失敗したのは、説教壇からよく聞かされるような現代の不信心のせいではない。それどころか、一流の人たちが教会になびく時代であるからには、大衆の宗教に対する欲求は極めて強いといわなければならない。

p107~p108
自らを維持しかつ改革していくことのできる教会は、たとえ小さなものであっても、真のコミュニティーになっているからである。いかに信者が多くとも、個人的な個人的な宗教体験と私的満足しか与えられないのでは、少なくともヨーロッパ人の語彙にいうところの教会ではない。

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P・F・ドラッカー;経済人の終わり、第4章(3)
経済人の終わり

”P・F・ドラッカー (著), Peter F. Drucker (原著), 上田 惇生 (翻訳);経済人の終わり―全体主義はなぜ生まれたか”

2 知的エリートとキリスト教
p99より
一流の社会思想家と政治思想家のきわめて多くが、この50年間に、キリスト教に戻ってきた。彼らは例外なく、資本主義と社会主義の秩序は崩壊せざるをえないとの認識から、社会の基盤となるべきものを探すべく、キリスト教に入っていった。

p104より
たんに大衆が、キリスト教が行った建設的な仕事の意義を見逃し、その社会的、政治的立場の否定的側面だけを見ていたわけではない。事実上、教会自身、きわめてしばしば反動的な立場にたっていた。
唯物的な社会を容認できない教会としては、ブルジョア自由主義や社会主義には反対せざるをえない。しかしその教会にしても、すでに手中にしたかのように振るまってはいるが、社会のあり方について建設的な新しい信条を構築しているわけではない。
そのため教会は、ファシズム全体主義が、マルクス主義よりもさらに反宗教的であり、かつキリスト教の信条に反することを知っているはずであり、事実知っているにもかかわらず、きわめてしばしば全体主義の側に立ってしまう。この矛盾の悲劇を示したものが、オーストリアとスペインの歴史だった。

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P・F・ドラッカー;経済人の終わり、第4章(2)
経済人の終わり

”P・F・ドラッカー (著), Peter F. Drucker (原著), 上田 惇生 (翻訳);経済人の終わり―全体主義はなぜ生まれたか”

p95~96
労働条件の改善、最低賃金の保障、労働災害の防止も、クェーカー教徒の産業家によって実現された。労働者に人間性を回復させ、機械と同列の存在から、個性と人格をもつ存在に変えることが、それらの改革の理念だった。さらには、「産業民主主義」の概念が生まれたのも、資本主義初期の聖人ともいうべき人物、ロバート・オーウェンのおかげだった。協同組合の父となったのも、このオーウェンだった。

p97より
教育の分野においても、教会は、他の分野に勝るとも劣らない成功をおさめた。19世紀から20世紀初頭にいたる間、ヨーロッパの教育制度は、子供たちに唯物主義的でない人間観、経済中心でない人間観を示すことによって、自由な個性と理性を維持しようとするキリスト教によって形成された。

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P・F・ドラッカー;経済人の終わり、第4章(1)
経済人の終わり

”P・F・ドラッカー (著), Peter F. Drucker (原著), 上田 惇生 (翻訳);経済人の終わり―全体主義はなぜ生まれたか”

第4章 キリスト教の失敗
1 キリスト教の戦果
p94より
教会内の目につかない所では、まったく別の方向に向かう新しい動きが勢いを増していた。その動きは、社会の実体が崩壊した後、社会の構造に新たなる基盤と意味付けが必要になった時のために備えて働いていた。しかもそれらの新しい勢力は、経済や社会の発展に抵抗するのではなく、昔の良き日を懐かしむのでもなく、社会の現実を事実として直視していた。

p95より
新しい社会の基盤を構築するためのこれらキリスト教徒の試みは、宗教は無力であるとの現代の通念に大きく反する。しかし現実には、大衆の生活を耐えやすいものにするための今日の制度のきわめて多くが、まさにそれらのものが「経済人」という概念によって構築することが至難だっただけに、宗教の側からの働きかえその淵源があった。

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P・F・ドラッカー;経済人の終わり、第3章(5)
経済人の終わり

”P・F・ドラッカー (著), Peter F. Drucker (原著), 上田 惇生 (翻訳);経済人の終わり―全体主義はなぜ生まれたか”

p82より
しかし、多数派による無制限の自由の行使は自由ではない。それは特権である。

4 ファシズムの登場
p84~p85
歴史上の経験に照らせば、革命は、古い形態の破壊と、新たな形態、制度、標語の創造を誇る。しかし、革命の進行を注意深く観察するならば、社会の実体は緩慢にしか変化せず、ときには全く変化しないことがわかる。しかし、ファシズムにおいては、旧秩序の実体は容赦なく破壊する。そして、形態は注意深く維持する。

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P・F・ドラッカー;経済人の終わり、第3章(4)
経済人の終わり

”P・F・ドラッカー (著), Peter F. Drucker (原著), 上田 惇生 (翻訳);経済人の終わり―全体主義はなぜ生まれたか”

p79より
もはや民主主義の実体の凋落は、制度的な公式によっては救えない。民主主義が、自らの伝統に根ざし、その歴史の過程において自らを勝ちとってきたものとして意識されている国ならば、その民主主義にも力が残されている。しかし、そのようなものでさえ、魔物たちの退治のためには放棄が必要とあれば、直ちに棄てられてしまう。

p81より
大衆は、世界に合理をもたらすことを約束してくれるのであれば、自由そのものを放棄してもよいと覚悟するにいたった。自由が平等をもたらさないならば、自由を捨てる。自由が安定をもたらさないならば、安定を選ぶ。自由によって魔物を退治できないとなれば、自由があるかないかは二義的な問題に過ぎない。自由が魔物の脅威を招くのであれば、自由の放棄によって絶望からの解放を求める。

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P・F・ドラッカー;経済人の終わり、第3章(3)
経済人の終わり

”P・F・ドラッカー (著), Peter F. Drucker (原著), 上田 惇生 (翻訳);経済人の終わり―全体主義はなぜ生まれたか”

3 自由の放棄
p77より
経済発展への信条が地に堕ちたことを示す動きとして、これらの動きと同じように重要な意味をもったのが、農業革命に対する抵抗だった。ごく最近まで、農業は資本主義経済とほとんど無縁だった。資本主義の影響を受けるかぎりにおいて、産業の軌道に引き込まれていたにすぎなかった。農業自身がそれらの法則に従ったことは一度もなかった。

p78より
しかし実際には、各国政府は、そのような方向への農業の発展を歓迎するどころか、それが起きないよう、農民を保護することに懸命になっている。
なぜならば、農業の発展は、自由と平等をもたらさず、今日産業を覆っているものと同じ不平等をもたらすと考えるからである。自由と平等を実現できない経済発展には価値がない。自由と平等が実現されないのであれば、構造変化による失業の発生はたんなる悪である。

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P・F・ドラッカー;経済人の終わり、第3章(2)
経済人の終わり

”P・F・ドラッカー (著), Peter F. Drucker (原著), 上田 惇生 (翻訳);経済人の終わり―全体主義はなぜ生まれたか”

p64より
これらのことが起こったのは、戦争や恐慌に特有の何かがあったからではない。それは、社会の基盤に対する信頼が崩れたためだった。たしかに、人間の存在と、戦争や恐慌をもたらす社会とは調和しえない。そして、もちろん近代戦争に関するかぎり、戦争はつねに悪である。

p68より
大衆はもはや経済発展のために犠牲を払いたくはないということであり、経済発展にそれだけの価値があるとは考えなくなったことを意味した。彼らにとって、経済発展はもはや最高の目的を達成するための最高の手段ではなくなった。

p70より
自覚しつつ孤独な存在となりうる詩人や哲人、キルケゴールやドフトエフスキーならば、魔物にひるむことなく、正気でいることもできる。しかし普通の人間は、唯物的合理の追求の結果もたらされた計算不能で意味のない力による完全な分子化、非現実化、無意味化、秩序の破壊、個の破壊に耐えることはできない。

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P・F・ドラッカー;経済人の終わり、第3章(1)
経済人の終わり

”P・F・ドラッカー (著), Peter F. Drucker (原著), 上田 惇生 (翻訳);経済人の終わり―全体主義はなぜ生まれたか”

第3章 魔物たちの再来
1 世界大戦と大恐慌が明らかにしたもの
p62より
資本主義と社会主義の崩壊は、あの世界大戦と大恐慌を通じて、人間一人ひとりの実体験となった。
これらの二つの破局が、既存の社会、信条、価値観を不変のものとして受け入れてきた日常を粉々にした。突然、社会の表層の下にある空洞をさらけ出した。ヨーロッパの大衆は初めて、社会が合理の力ではなく、目に見えない不合理の魔物によって支配されていることを知った。

p64より
これらのことが起こったのは、戦争や恐慌に特有の何かがあったからではない。それは、社会の基盤に対する信頼が崩れたためだった。たしかに、人間の存在と、戦争や恐慌をもたらす社会とは調和しえない。そして、もちろん近代戦争に関するかぎり、戦争はつねに悪である。

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P・F・ドラッカー;経済人の終わり、第2章(7)
経済人の終わり

”P・F・ドラッカー (著), Peter F. Drucker (原著), 上田 惇生 (翻訳);経済人の終わり―全体主義はなぜ生まれたか”

4 合理の喪失
p57より
「経済人」に代わるべきものとして、人間についての新しい概念が何一つ用意されていないということが、現代の特徴である。自由と平等を実現すべき人間活動の新しい領域は提示されていない。

p57より
一人ひとりの人間は、その意味を受け入れることも、自らの存在に結び付けるできない巨大な機構の中で孤立している。社会は共通の目的によって結び付けられたコミュニティではなくなり、目的のない孤立した分子からなる混沌たる群集となった。

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P・F・ドラッカー;経済人の終わり、第2章(6)
経済人の終わり

”P・F・ドラッカー (著), Peter F. Drucker (原著), 上田 惇生 (翻訳);経済人の終わり―全体主義はなぜ生まれたか”

p50より
現実の世界の動きがどれだけ経済学の法則に従っているかは、「経済人」の概念がどの程度受け入れられるかをあらわす。

p52より
キリスト教とともに、自由と平等はヨーロッパの二つの基本概念である。すでに2000年にわたって、ヨーロッパのあらゆる秩序と信条がキリスト教の秩序から発展し、自由と平等を目標とし、その実現を正当性の根拠としてきた。ヨーロッパの歴史は、この二つの概念を現実の社会に投影しようとする歴史だった。

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